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なぜ人は「怪物」になるまで群れたがるのか ――内藤朝雄『いじめの構造』を読む

なぜ人は「怪物」になるまで群れたがるのか
――内藤朝雄『いじめの構造』を読む

文|凛子(Rinko)

この薄い新書が刊行されたのは、SNSが普及する前、ましてや「スクールカースト」や「いじめ」という語が現在のように定着する以前のことである。内藤朝雄はこの一冊の中で、あまりにも冷静な筆致によって、日常に潜む暴力の「構造的共謀」という最も見えにくい層を言語化した。

彼が扱っているのは「悪人が悪事を働く話」ではない。「平和のため」「帰属のため」「小さな快適さを守るため」といった、ごく普通の動機が、人々をして排除へと、沈黙へと、否定へと導いていく。その集積が「他者」を生み出し、最終的には群れ全体による“滑落”を招く。

彼はこれを「集団圧力の地滑り」と呼ぶ。

本書には、怒りの語調も、告発の強度も、ほとんど見られない。内藤は冷静に、「いじめられる側」が生まれる構造を分析する。問題は、対象が「弱いから」「変わっているから」ではない。むしろ「リズムを共有しない」こと、「無意識に合わせない」ことこそが、共同体が最も処理に困る性質だという。

驚くべきは、内藤が「悪意」よりも「秩序の過剰保護」に着目している点だ。いじめは攻撃ではなく、むしろ「同調」の副産物である。その意味で、黙っている者や、笑って傍観する者こそが、この構造を支える最も強固な支柱なのだ。

本書を現代の文脈に置き換えるなら、それはまるで鏡のような装置として機能するだろう。SNS上では、自由な言論のように見えて、「私たち」という声が常に反響している。テンポを外す発言、文脈にそぐわない違和、同調からわずかにずれた姿勢――それらすべてが即座に可視化・分類・規範化され、ときには「消去」される。

私たちは、誰かを積極的に傷つけなくても、「秩序の側」に立つことはとても容易い。しかもそのことに、気づかないままでいる。

本書は「いじめを防ぐ方法」について何かの行動指針を示しているわけではない。ただ静かに、しかし繰り返し、こう語る。――「和」を保つために個を抑えるとき、その“善意の惰性”そのものが、すでに怪物を育てているのだと。

だからこそ、この本はいま読んでも、不気味なほどの貫通力を持つ。自分を守る方法を教えてくれるわけではない。それよりも、「あなたもまた構造の一部であるかもしれない」と、読む者の背後から問いかけてくる。

「いじめ」とは、異常事態ではない。むしろそれは、社会の正常運転として発生しうる――それを恐怖として語るのではなく、日常の自分の言葉・仕草・沈黙にまで立ち返るための足場として。

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